- 「よく分かっている」
「良佑、君のことはよく分かっているよ」と言った”立場ある教師”は、一度足りとも私に対して理解のない教師を咎めた […]
- 住まいを得るためには
ケースワーカーから「アパートは厳しいです。更生保護施設か無料低額宿泊所へ行ってもらいます」と言われていた方が […]
- こどもたちの「けんか」
「子どもの喧嘩は止めずに見とけ」って言うけれど、見てるだけでは僕がつまらないので、とりあえず「どしたの?」と […]
- 疑いを持ちすぎないように。
どれだけ自分は本が読めるか、しゃべれるか、モノを考えられるか、能力があるか、ということを相対化すべきでない。 […]
- 「読了」
ぼくは「読了」という言葉は使わない。本を読み、それを「了」とできるほど読み込めているか、ということに自信を持て […]
- 「即応」であること
あらゆる呼びかけ、声掛けに対して、「即応」、「即レス」でありたいと思う。 しかしそれは「誰かにとって都合の […]
- 「勉強」と「学び」
「勉強」を「学び」と言い換えて教育を語るのが、どうも流行っているようだ。これはおそらく学習者としての子どもの […]
- 2022年、あけましておめでとうございます
新年、あけましておめでとうございます。 昨年書いた「年賀状」という記事。 さすがに負担なのでこの際帰って […]
- 本来求められるべき「探求型学習」について
流行りの探求型学習について。何かを調べる学習だけでなく、分からないことはわからない、と言える力を育むことが強く […]
- 母校の記念史を読んで
母校が100周年を記念して本を出した。対談や寄稿を中心にまとめられた本だったのだが、その座組とした文脈をいく […]
- 私学は「尖ってなんぼ」
とある私学の「熱烈なファン」であった、一人としてのぼやきです。 私学は尖ってなんぼ、だと思う。これまでやってき […]
- 「ふつうでありたい」から逃れて
思い起こせば小学生、特に高学年の頃のぼくは、常に誰かに対して怒っていた。誰かと言っても特にそれは母親、そして […]