2021年をふりかえって

さて、明日は炊き出しで夜充分に時間が取れそうにないので、さきほどから一年の総括とご挨拶を長々と書いてしまいました。 かなり長くなりますし、校正も見直しもしていないので読みにくいでしょうから、まず先に申し上げておきます。様々なご縁の中で力を貸してくださった皆様、見守ってくださった皆様、この一年どうもありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします!

 今年の3月、東天寮を離れた。当然、「ネオリベラル学園」も離れることになる。6年もの間、生活をした場所。転勤族であったためこんな長い期間を一つの場所で過ごしたことはなかった。できることなら離れたくなかった場所。もっとも教師室や教室からは一刻も早く遠のきたかったが。

高校修了&大学進学と同時に某ニュース専門ネット局に入社をする。慣れないながらリサーチャーやフリップ制作、記者会見撮影、収録、その雑用に従事する。しかし2か月足らずで退社することになる。採用時の約束事や上長との相性など、様々な困難があった。退社時、某VJから「幸田君はこれからどうするのかい?」と問われた。具体的な策、食い扶持はない。とっさに「視聴者や会員など、顔の見えない大勢を相手にするのではなく、目の前にいる人と話し合ったり、考えあったり、そんな風に生きていきたい」と語った記憶がある。とっさにでた言葉だが、嘘はなかった。その時頭には「教育」に関わる仕事にしたい、と思っていた。

 しかし、そんなことを言ってもコロナ禍、すぐには仕事が見つからない。とりあえず大学の学生課に出向き、学内の仕事を探した。他キャンパスの図書館の仕事。欲は言っていられないので面接を申し込み、難なく採用。しかし、分散勤務なる「無」感ある“感染対策”のせいで、勤務日が想定より減らされることになる。このときの月の収入は5万円ほど。6万8千円の家賃には到底及ばない。家賃は貯金で工面し、生活費は父親のクレカに直結するこっそりPayPay支払い。

 7月ごろ、大学図書館では食っていけないので、正社員、職員採用を想定した仕事探しに。教職課程にいることもあって教育に関わる仕事、かつ福祉的な側面を持った仕事がしたいなあと、児童養護施設や児童自立支援施設等の求人を探す。メールで問い合わせるもどこも学生と未成年はダメ、とのこと。まあそりゃそうだろうな、と次第に気づく。方向を微妙に修正し、児童館や学童など、社会教育施設や児童保育、健全育成事業に関わる仕事を探す。「無資格」「未経験」にタグを絞り検索する毎日。

 この頃、炊き出し、夜回りに参加するようになる。池袋の支援団体「TENOHASI」。美しくキレイな動機はない。何かのコミュニティに属したい、と思ったのだ。簡潔にいけば「孤独死対策」。毎週、隔週継続的に参加することで、いきなり姿が見えないようになったら誰かが気にかけてくれるだろう、と目論んだ。参加をしているうちに、生活者たろうとする自分と、なかなかなりきれない自分を意識して、ここに並ぶおっちゃんたちは僕からして決して遠い場所にいる人たちではなく、自分も何か条件が異なればここに並んでいたかもしれない、と思うようになった。

 炊き出しにはいつもパルシステムという生協組合が物資を提供くださる。名前だけは知っていたがどんな仕組みなんだろう、と調べていた。そのうち「ワーカーズコープ」という働き方と組織を知った。どんな仕事があるんだろう、と求人ページを見てみた。児童館、学童、放課後ひろば、など。関心と合致する仕事が並んでいた。おそらくあれは町田駅の中央改札の手前、しゃれた店が並ぶところだったと思う。騒音を避け、すぐさま電話を掛けた。これまでの経緯や関心、今の状況など、根掘り葉掘り聞かれた。仕事につないでくれるという。まずは会って話を聞きたい、ということになった。

 直接話をして、すぐに就業ということにはならなかった。後日、現地の事業所に出向き面接を受けることになった。恥ずかしい限りだが、はじめての面接の日、時間は過ぎていなかったか大胆に寝坊した。焦った僕は電話番号をネットで調べ電話を掛けた。かけた先を間違えた。新宿の違う事業所だった。気を取り直して正直に事情を伝え詫びた。それから電車に飛び乗り面接の場所に到着。いまでもあまり笑っているところを見たことがないが、気難しめなおじさん(失礼)が出てきた。「遅れてすみません」と詫びる。彼は所長。この地域にある児童館、交流館、学童、放課後広場を取り仕切っている。怒られるかと思いきや「最初設定した時間忙しいタイミングでこのぐらいの時間がちょうど良かったよ」と言う。彼のやさしさなのか、本気で忙しかったのか、今でもよくわからない。30分ぐらいだっただろうか。交流館の和室。胡坐というわけにはいかない。正座でお話をする。話が終り立ち上がると、足が痺れにしびれまくり5分ほどまともに歩けなかった。

 適性と様子を見たいからテストさせてもらう、と言われ一時間業務に就くことになった。子どもたちとは初対面。挨拶する時間すらなく、いきなり体育館に駆り出され、見守り。子どもたちはバスケとバトミントンをしている中、僕はポツンと入口に立つ。「えっ、これで一時間過ごすのかよ」と焦る。そんな中、一人子どもが近づいてくる。もう何を言っていたのか覚えていないが、「お姉ちゃんが意地悪してくるの」という話を延々と聞く。気づいたら一時間。あっという間に過ぎていた。彼女のおかげで僕は救われたと思っている。何もすることなくぼーっと突っ立っていたら果たして採用、となっていただろうか。テストを終え、事務所に戻る。今日は帰っていいとのこと。また連絡する、と言われ僕は事務所を後にする。

 何週間待ったのだろうか。なかなか連絡がこなかった。大学は夏休みに入り、時間が有り余る中、ただただ貯金が減っていく。つないでくれた地区本部の職員にも催促と確認の連絡をしてしまった。その後面接された所長から連絡があったのは大学にある「井上円了博物館」の前。「遅くなって申し訳ない」と詫びを受けた後、「いつから入れるの?」と採用の可否を伝えられることなく問われる。「今からでも」と冗談めかして答える。相手は笑わない。「じゃあ明後日からで良い?」と所長が聞く。「はい」と答え、採用されることになった。

 メインの就業先は「放課後ひろば」となった。学童は両親の共働きや病気など条件があるのに対し、「放課後ひろば」は全児童が対象となる。小学校時代「トワイライトスクール」という名で通っていた記憶がある。どこの事業所とは言えないが区内の小学校内にある。小学校卒業後は全体の8割ほどが国立、私立の中学に進学するほどの裕福な地域にある。もともと高校時代のゼミで「子どもの貧困」をテーマにフィールドワークをしていたこともあって、様々な困難が考えられる事業所で働きたいと思っていた。そうした経緯もあって少し残念に思っていたのだが、裕福であっても特有の問題や気にすべき点があることに気付いた。抱っこやおんぶ、膝に乗りたいなど、身体的な距離を縮めようとする。年齢的な差はあるだろうが、どの学齢においても共通する。また、気に入らないことや不愉快なことがあると極端にキレてしまう子がいたりもする。自分ができることを、職場の仲間たちと共有しあって、子どもたちが安心して、楽しく過ごせる居場所を作っていきたいと思っている。

 最初の仕事を辞めてからというもの、今であっても収入はさほど上がってはいない。ワーカーズコープでも当初常勤としての採用を求めていた。プロジェクト単位の仕事(HP制作など)で臨時的な収入があるため何とか家を失うことなく、また食べるものに困ることなく生活ができているが、安定しているとは決して言えない。焦らず、その時々のご縁で、今より安定し、関心から逸れることのない仕事を選んでいきたい。


本当にこの1年にたくさんのことがありました。体感としては1年では済まず、10年と言っても良いほど。親元を離れて7年目。(そもそも頼れたものではないが…)親のお金に頼らず生活をしようと、独立自活を初めてようやく1年。本当にご縁としか言いようがないその時々に出会う皆さんの助けで何とかこの1年過ごすことができました。どうもありがとうございます。いろいろありましたが楽しい一年でした。来年も、これからも、どうぞよろしくお願いします!