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エッセイ
「よく分かっている」
「良佑、君のことはよく分かっているよ」と言った”立場ある教師”は、一度足りとも私に対して理解のない教師を咎めたり、私の肩を持つたりすることはなかった。私はここから大切なことを学んだ。「よく分かっている」人は「よく分かって […] -
エッセイ
住まいを得るためには
ケースワーカーから「アパートは厳しいです。更生保護施設か無料低額宿泊所へ行ってもらいます」と言われていた方がようやくアパート転宅。ケースワーカーがあまりに強引で施設入所を断れない、と言う相談を受け、何度か面接に同行して […] -
エッセイ
こどもたちの「けんか」
「子どもの喧嘩は止めずに見とけ」って言うけれど、見てるだけでは僕がつまらないので、とりあえず「どしたの?」と聞く。たいてい「ふんふん」と頷くだけだが、いずれ言葉のぶつけ合いからそれぞれの怒りの告発に変わるので、そこでそ […] -
つぶやき
疑いを持ちすぎないように。
どれだけ自分は本が読めるか、しゃべれるか、モノを考えられるか、能力があるか、ということを相対化すべきでない。「自己啓発本」的なるものはまさにそれを刺激する。自分が他人と比べてどうあるのか、という問いの誘惑に負けてはいけ […] -
エッセイ
「読了」
ぼくは「読了」という言葉は使わない。本を読み、それを「了」とできるほど読み込めているか、ということに自信を持てないからである。そもそも著者の意図を完全に読み解くことはできない、と思う。後に読み直した時、最初に目に触れた時 […] -
ブログ
「即応」であること
あらゆる呼びかけ、声掛けに対して、「即応」、「即レス」でありたいと思う。 しかしそれは「誰かにとって都合の良い人」になりたい、ということを意味しない。 非常時、一刻も早い対応が求められる際に、常日頃から反応が遅い、 […] -
エッセイ
「勉強」と「学び」
「勉強」を「学び」と言い換えて教育を語るのが、どうも流行っているようだ。これはおそらく学習者としての子どもの主体性を認めようとする動きなのだろうが、これには「教育」というものの本質を見失う危うさを持っているように思える […] -
ブログ
2022年、あけましておめでとうございます
新年、あけましておめでとうございます。 昨年書いた「年賀状」という記事。 さすがに負担なのでこの際帰ってきた子に向けて年賀状を出すことにしました。全部で40枚ぐらい。まあまあな数です。 そんなことより、2022年 […] -
エッセイ
本来求められるべき「探求型学習」について
流行りの探求型学習について。何かを調べる学習だけでなく、分からないことはわからない、と言える力を育むことが強く求められると思う。 ワクチンの有効性、コロナの真偽など。いずれも僕は信じるけれど、根拠を持ってそれを評価する術 […] -
エッセイ
母校の記念史を読んで
母校が100周年を記念して本を出した。対談や寄稿を中心にまとめられた本だったのだが、その座組とした文脈をいくら探ろうとしても一向に見えてこなかった。名だたるアーティストや著述家、環境アクティビストなど。思わず企画に関わ […] -
エッセイ
私学は「尖ってなんぼ」
とある私学の「熱烈なファン」であった、一人としてのぼやきです。 私学は尖ってなんぼ、だと思う。これまでやってきたことが社会に評価されず経営が立ち行かなくなるのであればさっさと学校を畳むべきである。文脈不在の新たな取り組み […] -
エッセイ
「ふつうでありたい」から逃れて
思い起こせば小学生、特に高学年の頃のぼくは、常に誰かに対して怒っていた。誰かと言っても特にそれは母親、そして弟に向けられていた。 怒る理由は本当に笑えるくらい些細なことだ。「くちゃくちゃ」と音をたてて食事をしたり、つく […] -
ブログ
学園的…
母校のホームページを見ると、卒業し社会に出たOG・OBにインタビューして、それを文字化し掲載する「1〇〇人の卒業生+」などという企画があるのだが、どうにも違和感を覚えている。 -
つぶやき
大切だからこそ「批判」するんだ
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ブログ
「#ぼくゼロ」特別試写会に行ってきました
先日,映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』の特別試写会に行ってまいりました。(最近どうも写真を撮り忘れてしまいます) -
エッセイ
”訴えるところ”はどこにあったのか
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エッセイ
教師の「語り」が阻害するもの いくら言っても言い足りない母校の話から
更新が5年ほど前から滞っているエデュログ内の自由学園男子部のブログ。少し前の男子部の空気感を感じていただけるとともに、自由学園に入学を志される方には是非とも読んでいただきたいと思っています。https://www.edu […] -
エッセイ
課題、宿題、そして評価。
気づいたらゴールデンウィークが終わっていて、出さなければいけない哲学のレポートを急いで書いているところです。ずっと不良学生のぼくは高校時代からこんなもんです。笑 -
リポート
宗教教育における詰め込みの否定 自由学園の実践を考える
大正自由教育の流れの中で1921年に日本初の女性ジャーナリストであった羽仁もと子とその夫である羽仁吉一によって雑司ヶ谷に建てられた自由学園。いまでは場所を移し東久留米市学園町で幼稚園から大学までを持つ学校に成長した。 そ […] -
ブログ
読書教育への違和感
「本を読ませる教育」じゃなくて必要なのは「自ら本を必要とさせる教育」だと思います。何冊読んだじゃなくて、何のために何を知りたくて、何の本を読んだのか、ということだと思います。 というのもただ本好きにすれば良いってわけじゃ […]