宗教教育における詰め込みの否定 自由学園の実践を考える

大正自由教育の流れの中で1921年に日本初の女性ジャーナリストであった羽仁もと子とその夫である羽仁吉一によって雑司ヶ谷に建てられた自由学園。いまでは場所を移し東久留米市学園町で幼稚園から大学までを持つ学校に成長した。 そこで私は6年間、生活団(通信グループ)を入れると8年間ほど学び、生活してきた。

そんな自由学園はキリスト教主義に立ちながら当初礼拝の場を学校として持つことはしなかったという。 創立者であるもと子はこのように述べている。「私の信仰心は立って歩もうとしてよろめき倒れる幼児のようにまだ弱いものである」。このように自身の信仰心への不安、そして宗教教育に対する慎重さを伺い知ることができる。

今年度から自由学園では「TLPの時間」と呼ばれる授業が始まった。TLPは女子部が用いるスローガンで「Thinking Living and Praying(思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ)」という意味を持つ。
この「TLPの時間」について少し考えてみたい。

もと子は「宗教の詰込み」は最も恐ろしいと後年著書で書いている。系統的な宗教教育は避け、自らの宗教教育においては経験主義的な発想に立つことを意識していた

私も在学中、南沢で行われる毎朝の礼拝に参加していた。礼拝と言っても学校が雇用する牧師がいるわけでも派遣されてくる牧師がいるわけでもなく、生徒、そして教職員が話をする。それはキリスト教の教義に触れ、それを深めるといった時間ではない。自らの経験、体験から話を広げていくのだ。もっとも私も礼拝の時間の司会者を務めたことがあるが、その時は自分の自由学園での学び、成長を振り返り、この先変わっていく学校に対して自分自身が持つ「自由学園での良き学びのあり方」について「記憶の伝達」をしようと試みた。教職員の振る舞いの問題について厳しく指摘した記憶もある(笑)聖書、讃美歌はそれにあった箇所を自分で選んだ。

これこそが自由学園の「礼拝」であり、また自由学園の「宗教教育」なのだと私自身の経験から振り返ることができる。

決して遠い場所にあるわけでない身近な体験、経験からキリスト教の教義に触れていく。
自由学園の教育思想的に言い換えれば「生活即教育」である。

自由学園はキリスト教主義に立った学校ではあるが、生徒に対してキリスト教の信仰心を持つことを強要しない。洗礼を受けている生徒も私の在学中、同級生に5人もいなかったはずだ。自由学園に入学しキリスト教に初めて触れる生徒もたくさんいる。創立者は生徒にとっては初めてとなる宗教的体験を極めて自然なものとする、それを常に意識されていたのだろう。

新たな局面にある自由学園の宗教教育。創立者の懸念をいかにクリアし、そしてまた自由学園の持つ教育思想とどのように絡めていくのか、創立当初からの歴史的文脈を捉えたカリキュラム設計がなされることを願ってやまない。

この記事を書いた人

幸田良佑

2003年、山梨県生まれ。2021年、自由学園男子部高等科卒業。同年、東洋大学社会学部第二部社会学科入学と同時にニュースを専門とする番組制作会社に入社するが、1ヶ月を経たずして退職。以降、児童館、放課後児童クラブ、学童保育所、大学図書館勤務を経て特定非営利活動法人TENOHASIに入職。2022年より特定非営利活動法人わかちあい練馬 事務局長・理事に就任。