受験を終えて

推薦入試ではあるものの昨日でやっと自分自身に大きな負荷をかけていた受験がひと段落しました。

良い学校、職場、というものにこだわりを持たない自分ですから、どこでも良いかななんて思っていたわけなのですが、色々調べてみると夜学で社会学部を持つ大学というのはなかなか多くないようで、望んでいるわけではないのだけれど、人生で最初で最後であろう「大学入試」というのにトライしてみました。

今回はそのことを書いてみようと思います。

ぼくはある程度、逃げ道といいますか、入試にガチで向き合うということを避けましたし、実際にそのような状態になることはありませんでした。

受ける大学もさきほど述べたように、夜学部ですから倍率もめちゃくちゃ高いというわけじゃありませんから。

周りの現役受験生と比べると(変な話ですが)精神的なダメージも低いはずです。

そんな状態にある僕がここまで精神的に疲弊した、というわけですから言語化されるかされないかは別にしても、相当に負荷のかかるものなのだろうなと感じます。


試しにインターネットで「心療内科 受験生」と検索をかけてみました。

「需要がある」という言い方が適切であるかは分かりませんが、「受験鬱」という言葉があるくらいに問題化されているということがわかります。

ぼく自身の立ち位置を曖昧にしたままに話を進めるのは気が引けますが、「大学進学→卒業→就職」というのが多いとされるなかで、果たしてこの「大学進学→卒業→ …」といったこの流れにどれだけの意味があるのかという疑問があるわけです。

ぼくがそう思うのは、これまで出会ってきた大人の中で、研究者や院生(院卒者など)を除き、大学での学びが自分自身の考え方や生き方に大きな変化、影響を与えた、という方にお会いしたことがないからなのだと思います。

話が逸れてしまったので戻りましょう。この「受験」というのにどれだけの意味があるのでしょうか。

「篩」としては確かに機能しているのでしょう。しかし、受験生一人一人を見たときに、その子自身に対してどれだけポジティブなものを与えてやることができているのでしょうか。

私の実体験の中では、ネガティブな記憶として残っていくものなのだろうな、と思っています。

ここまでぼくが書いてきたことは、社会に対する批判であったり、不満といったものではありません。

この頃、あまりそういうことに意味がないように感じているからです。

ここで書いたことはこれからぼく自身が出会う人々との関わりのなかで、心にとめておきたい根に触れるトピックであると思っています。

今しか感じない、書けないことをこれからも誰に見せるでもなく綴っていきたいと思うのです。

この記事を書いた人

幸田良佑

2003年、山梨県生まれ。2021年、自由学園男子部高等科卒業。同年、東洋大学社会学部第二部社会学科入学と同時にニュースを専門とする番組制作会社に入社するが、1ヶ月を経たずして退職。以降、児童館、放課後児童クラブ、学童保育所、大学図書館勤務を経て特定非営利活動法人TENOHASIに入職。2022年より特定非営利活動法人わかちあい練馬 事務局長・理事に就任。