本来求められるべき「探求型学習」について

流行りの探求型学習について。何かを調べる学習だけでなく、分からないことはわからない、と言える力を育むことが強く求められると思う。

ワクチンの有効性、コロナの真偽など。いずれも僕は信じるけれど、根拠を持ってそれを評価する術はない。医学者でも医療従事者でもないのだから。

コロナやワクチンについて極端に懐疑的な彼らは「疑問を持ち自分で調べてみた。そこではじめて”真実”を知った」と口を揃える。

自分はこれは詳しいが、それについてはまったくの”素人”である、といったことを、強く意識することが重要だと思うのだ。

 これが本来的な「リテラシー」というもので、記憶を外部(インターネット)に据え置き、インデックスと創造力が求められるこれからの社会において、求められるべきはここにあるのではないだろうか。

この記事を書いた人

幸田良佑

2003年、山梨県生まれ。2021年、自由学園男子部高等科卒業。同年、東洋大学社会学部第二部社会学科入学と同時にニュースを専門とする番組制作会社に入社するが、1ヶ月を経たずして退職。以降、児童館、放課後児童クラブ、学童保育所、大学図書館勤務を経て特定非営利活動法人TENOHASIに入職。2022年より特定非営利活動法人わかちあい練馬 事務局長・理事に就任。