住まいを得るためには

 ケースワーカーから「アパートは厳しいです。更生保護施設か無料低額宿泊所へ行ってもらいます」と言われていた方がようやくアパート転宅。ケースワーカーがあまりに強引で施設入所を断れない、と言う相談を受け、何度か面接に同行していた。何を聞いても「施設に行ってもらいます」としか言わないケースワーカーに「過去、ご自身でアパートを設定され10年以上も維持されて来たとご本人から伺っていますが、アパートではなく施設とするのはどういう判断ですか?」としつこく問うた。対してケースワーカーは「失業してアパートを退去されたあと、いくつかの職場と寝床(ネカフェ、ビジホ)を点々とされているので」と言う。それとこれとで何がどう関連付いているのかよく分からなかったが、とりあえず「アパートを維持できなくなったのはご本人の生活に起因するものではなく失業によるものですよね?」と詰める。ケースワーカーは「私が決めることではないので…」と返す。

 福祉事務所の文化やケースワーカー個人の考え方、捉え方によって、相談者本人の処遇が大きく異なってくる。そんなことがあって良いのか、と思うが、そんなことが当たり前に起きているのが福祉事務所だ。

わたしには、中学、高校と、一部の教員を相手にやりあって来た。彼ら(一部の教員)にとっては鼻に付くであろう私の学習への態度を、私個人を指導が必要な生徒と決めつけて、あれこれ好き勝手に「指導」されてきたのだ。そうした父権主義的な態度に対して反抗していた。そのような教員の姿と福祉事務所のケースワーカーの姿がどうも重なってしまう。「生徒/被援助者」の「学習/自立」を、「教員/ケースワーカー」自身の狭い視野で評価する、その態度に対して。

 個人の主体性を認めない、乱暴で軽薄で視野の狭い人々に対して怒りを持って抗っていきたい。